あだち充さんの代表作『タッチ』と、その“30年後”とも言われる『MIX』。どちらも明青学園を舞台にした作品ですが、ファンの間ではずっと「上杉達也はMIXの世界ではすでに亡くなっているのでは?」という死亡説がささやかれています。
さらに、この説とセットで語られることが多いのが、「MIXに登場する原田正平(タッチの原田本人)が記憶喪失になっている」という事実です。原田の“おかしな描写”と、達也の異常な不在。この2つは関係しているのでしょうか?
この記事では、公式設定や作中描写、タッチからMIXへの時系列を整理しながら、「達也死亡説」と「原田記憶喪失」のつながりをじっくり考察していきます。
公式設定:MIXとタッチの関係と原田正平の立ち位置
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まず前提として押さえておきたいのが、『MIX』に登場する原田は『タッチ』の原田正平本人だという点です。
作中では、学生時代の彼を知る人物が原田正平だと気づいたり、喫茶店「ドラゴン」に通っていたりと、同一人物であることを裏付ける描写がいくつもあります。
そしてもうひとつの大きなポイントが、MIXの原田には「記憶喪失」という公式設定が与えられていることです。
事故の1か月ほど前から自分の名前すら思い出せず放浪しており、音美をかばって再び事故に遭ったことをきっかけに立花家の世話になる、という流れで登場します。
つまり、「タッチの原田が、記憶喪失の状態でMIXに現れている」というのが公式の立ち位置になります。
タッチ→MIXの時系列まとめ
次に、タッチとMIXがどのようにつながっているのか、ざっくり時系列を整理しておきます。
◆『タッチ』の時代(約30年前)
・上杉達也・和也・浅倉南の幼なじみ三角関係
・和也の事故死、達也の成長と明青学園の甲子園出場
・原田正平、西村、新田ら“黄金世代”の面々が活躍
◆『MIX』の時代(現代)
・立花投馬・走一郎兄弟と立花音美が主人公
・明青学園野球部は長年低迷している設定
・タッチ世代の記録は「何故かほとんど破棄」されている
・原田正平が記憶喪失の男として登場
・西村の息子が登場
・一方で、達也・南の名前は一度も出てこない
このように、世界観は明らかに地続きなのに、“タッチ時代”に関する情報だけが不自然なほど欠けているのが大きな特徴です。
読者が抱く主な疑問
『MIX』を読み進めたタッチ世代の多くが、あるタイミングで違和感にぶつかります。
- なぜ明青の英雄だったはずの上杉達也が一度も出てこないのか?
- 同じくヒロインだった浅倉南の存在にも触れられないのか?
- タッチ世代の「記録が破棄されている」という設定は、何を意味しているのか?
- そして何より、原田だけが記憶喪失という特別な状態で登場するのはなぜなのか?
この“欠けている部分”があまりに多いため、「達也に何かあったのでは?」という憶測が生まれ、そこに原田の記憶喪失設定が重なって、死亡説とつながっていきます。
原田正平の違和感ポイント
ここで一度、タッチ時代の原田とMIXの原田を比べてみます。
◆タッチ時代の原田
・どこか大人びた雰囲気
・無駄に騒がない、飄々としたクール系の友人キャラ
・達也や南のことをよく見ている、距離感の絶妙なポジション
◆MIXの原田
・落ち着いた雰囲気はそのまま
・しかし事故により記憶喪失
・自分の名前も思い出せない状態からスタート
・とくに「学生時代」に関する記憶が丸ごと抜け落ちている
つまり、性格そのものは極端に変わっているわけではありません。あくまで年齢を重ねて渋みが増した印象です。
本当に違和感が大きいのは、「達也や南と過ごしたタッチ時代の記憶がごっそり抜けている」という点です。
本来なら一生忘れないような青春の核心部分だけが、都合よく空白になっている。この“記憶の欠落”こそが、読者の想像を一気にかき立てています。
上杉達也が作中に不在である理由
では、なぜここまで徹底的に達也の存在は消されているのでしょうか。
ひとつは、あだち充さん自身の作家としてのスタンスが関わっているとされています。
インタビューなどでも、「タッチの“その後”をはっきり描きすぎると、読者それぞれが抱いている未来のイメージを壊してしまう」というニュアンスの発言をしており、意図的に距離を取っていることがうかがえます。
また物語上も、
- 明青の黄金期の記録が破棄されている
- 達也の名前はおろか、OBとしての存在すら触れられない
- タッチ時代を知る原田が、よりによって記憶喪失
という構造になっており、「達也の現在」を読者が知る入口がことごとくふさがれている状態です。
この徹底ぶりが、「何か重い事情があるのでは?」という想像につながり、死亡説を後押ししているのは間違いありません。
“原田記憶喪失説”と上杉達也死亡説の関係を考察
ここからはいよいよ、ファンの間で語られている「達也死亡説」と「原田の記憶喪失」の関係についての考察です。
よく語られるパターンを、分かりやすく整理してみます。
◆考察パターン①:達也の死→原田の喪失体験→事故で完全な記憶喪失
タッチの時代の後、何らかの理由で達也が亡くなる。
そのショックで原田は深く傷つき、心に大きな負担を抱えたまま大人になっていく。
そんな中で事故に遭い、結果としてタッチ時代の記憶だけを失ってしまった──という解釈です。
◆考察パターン②:学校がタッチ世代を“封印”し、原田は唯一の証人だが記憶喪失
明青にとってタッチ世代の出来事は、何らかの理由で「触れてほしくない過去」になっている。そのため記録がほとんど破棄され、OBとしての扱いも曖昧に。
本来なら原田がその真実を語る役割を担えたはずが、記憶喪失で何も話せない。
結果として、達也の行方も、黄金期の真相も、物語の中から抜け落ちたままになっている、という見方です。
◆考察パターン③:達也の未来は「原田の失われた記憶」として象徴的に描かれている
あだち作品は、あえて描かない部分に意味を持たせることが多いです。
あえて達也の今を描かず、原田の欠けた記憶としてだけ存在させることで、「読者それぞれが想像してほしい未来」として残しているのではないか、という考え方もできます。
いずれのパターンも、公式に語られているわけではありません。ただ、「原田だけが記憶喪失」「記録破棄」「達也の異常な不在」という事実が見事につながるため、ファンの間で語りつがれる“都市伝説”として非常に魅力的な説になっています。
結論:公式ではなく“都市伝説”として楽しむのがベスト
最後に、この記事の結論をまとめます。
- MIXの原田は『タッチ』の原田正平本人であり、記憶喪失は公式設定
- ただし、記憶喪失の原因はあくまで「事故」とされており、「達也の死」が直接描かれているわけではない
- 上杉達也死亡説は、記録破棄や原田の記憶喪失、達也の徹底した不在が組み合わさって生まれたファン考察である
- あだち充さん自身は、タッチの“その後”を固定したくないスタンスで、読者の想像に委ねている
つまり、「達也の死がショックで原田が記憶喪失になった」という説は、公式ではないものの、物語の“穴”を埋めるロマンのある読み方だと言えます。
タッチとMIXの間に横たわる、大きな空白。その空白をどう埋めるかは、読者次第。
達也は今どこで、どんなふうに生きているのか(あるいは、もうこの世にいないのか)。
その答えを決めるのは、原作者ではなく、作品を愛して読み続けている私たち一人ひとりなのかもしれません。